
国連環境計画(UNEP)第5回政府間交渉委員会(INC-5)は、2日に何も成果を上げずに終了した。政府間交渉委員会は、プラスチック汚染を終わらせるために必要な国際法的に拘束力のある「プラスチック条約」を策定するための一時的な会議体である。特に釜山でのINC-5は、ウルグアイ(2022年11月)、フランス(2023年5月)、ケニア(2023年11月)、カナダ(2024年4月)での議論を基に、プラスチック生産量を規制する最終案を確定する最後の試みであった。しかし、プラスチックの原料である石油・天然ガスを生産する産油国の反発に足を引っ張られてしまった。
今日、人類は毎年4億6000万トンのプラスチックを生産している。プラスチックの生産量は今後も増加する見込みである。人口が増え、生活の質が向上すれば、プラスチックの需要も増えるからだ。2040年にはプラスチックの生産量が約60%増加し、7億3600万トンに達するというのが経済協力開発機構(OECD)の推計である。
すべての「素材」と同様に、プラスチックにも「線形経済」のパラダイムが適用される。自然から「採取」した石油・天然ガスを化学的に加工して「生産」したプラスチックを「使用」した後、さまざまな方法で「廃棄」することを意味する。結局、私たちが使用するすべてのプラスチックは廃棄され、ゴミとして捨てられることになる。わざわざ「使い捨て(disposable)」でなくても事情は同じである。
私たちが捨てたプラスチックゴミは山や都市だけでなく、川・湖・海まで深刻に汚染している。太平洋には巨大なプラスチックゴミの島が浮かんでおり、鼻にプラスチックストローが刺さって苦しむウミガメもいた。アフリカや東南アジアは先進国から送られたプラスチックゴミで苦しんでいる。さらには、私たちが捨てたプラスチックゴミが細かく砕かれて作られたマイクロ・ナノプラスチックが水や空気を汚染しているという事実も確認されている。プラスチックゴミの焼却から排出される温室効果ガスの被害も深刻である。
未来の世代のために「健康な地球」を作るべきだという主張は誰もが否定しない。しかし、「100年経っても腐らない」というプラスチックの究極的な排除が最善策であるとは限らない。果たしてプラスチックのない世界が現実的に可能なのかについて深く考える必要がある。産油国が心配する経済的負担も軽視できない。経済的負担は産油国に限ったものではない。世界第5位の原油精製施設と世界第4位のエチレン生産設備を持つ私たちが負わなければならない負担も小さくない。プラスチックの排除が1970年代に始まった「重化学工業」としての私たちの産業基盤を根本から揺るがす危険な試みになる可能性もある。プラスチック生産に関連する広義の「石油化学産業」は、依然として私たちが簡単に手放すことのできない重要な国家基幹産業である。
プラスチック排除の社会的波及効果も心配しなければならない。プラスチック生産量規制の実質的な被害は、完全に低所得層を含む社会的弱者に帰する。経済的に余裕のない社会的弱者にとって、高価な天然素材で生産された製品は夢のまた夢である。安価でありながら品質が優れた合成繊維・革・ゴム・ビニール・プラスチックが消えた世界は、社会的弱者にとってはさらに厳しいものになるだろう。
プラスチック排除が必ず地球環境をより清潔で健康にしてくれるという期待も早計である。プラスチックは初めから天然木材の代替品であった。20世紀中頃にプラスチックが本格的に登場し、天然木材の消費が大幅に減少し始めたことがその証拠である。1980年代にはプラスチックの使用量が木材の使用量を超えた。その傾向は今も続いている。現在、天然木材の消費量は年平均4.2%ずつ減少している。地球をより健康にしようと始めたプラスチック排除が、木材をはじめとする天然素材の枯渇を助長するきっかけになる可能性もある。天然素材の需要が増えれば、地球環境はさらに深刻に損なわれることは避けられない。
私たちの衛生環境も心配しなければならない。プラスチック包装材が消えた世界では、加工食品・医薬品・工業製品の正常な生産・流通は不可能である。紙・金属・ガラスなどの天然素材で作られた伝統的な包装材では、商品の腐敗・変質を防ぐことは根本的に不可能である。そうなれば、私たち全員が現代の分業をすべて放棄し、貧しく厳しかった自給自足の時代に戻ることになるかもしれない。
プラスチックが地球を汚染していることは明らかである。今後、状況がさらに悪化する可能性があるという懸念も深刻である。それでも、プラスチックの生産を規制し、最終的にプラスチックを排除しようという発想は受け入れがたい卑怯で狭量な下策である。どんなに危険で汚い技術であっても、どうしても使わざるを得ないのが人間の宿命である。プラスチックも例外ではない。
実際、50万年前から使用されている「火」が常に有用であるわけではない。制御できないほど広がる「火災」の被害は想像を超えたものであった。実際、人類の歴史は「火災の歴史」で満ちているが、私たちは依然として火を手放すことができない。むしろ火を安全に使用し、火災を感知して消火する「技術」を開発し、火災を予防する合理的な「制度」を整えることが私たちの選択であった。
プラスチックの再利用(reuse)・リサイクル(recycle)を通じた「循環経済」に必要な「技術」と「制度」に対するより多くの関心と努力が必要である。世界的にプラスチックのリサイクル率は9%に過ぎない現実も改善しなければならない。プラスチックは100年経っても腐らないから問題だという認識は深刻な事実の歪曲である。私たちが責任を持って循環させなければならない資源であるプラスチックを無造作に捨てて問題になるのである。私たち自身の問題をプラスチックに押し付ける卑怯な姿勢は絶対に許されない。
